あの時のワカメのように

思うこと

今日は、母親の誕生日。

83歳かぁ

生きてたら。

もうあの日から約30年経とうとしている。

”光陰矢の如し”とはまさにこのこと。

今は女性の平均寿命は90歳近くであるので、夭折といえよう。

母が逝ったその年齢にもうすぐ追いつき追い越す歳になった。

本当に時が過ぎるのは早いものである。

落ち着きがなくて、いたずら者の”てぃんく”はしょっちゅう怒鳴られていました。たまに手も出たな~。そして小さい頃は怖かった〜。けど、現在のいわゆる虐待とは程遠い愛情があったのです。

おかげで立派に育ちました (笑)

元気な人でした、アクティブな人でした、明るい人でした。厳しい人でした。

そのおかげで、少し恥ずかしい思いをしたこともあったけれども、結果的に徳をしたことの方が多かったように今考える。

母に背中を押されて、チャレンジしたことが、今になって生きてきているのである。

人間の性格はいろいろあるけれども、やはりなんでも、積極的に自発的にそして考えるよりも怖がらないでまず行動した方が世界が広がると言うことを教わった気がする。

海の近くで育ちました。家を出て崖を下っていくと、もう目の前には砂浜が広がり磯があり、青い太平洋が広がっていました。

幼い頃から海にはいつも遊びに行っていました。海には楽しさもあったけど怖さも教わった。

砂浜で造形物を作ったり、岩場で蟹や、やどかりや、イソギンチャク等を捕獲したり。海に潜って泳いたり。

春から夏場にかけて”ワカメ漁”が行われます。漁師さんが岩礁についているワカメを鎌で刈って採っていきます。

漁師さんの手から逃れて自由を得たワカメが海中でゆらゆら漂って、僕たちと遊んだ後に、最後には砂浜に打ち上げられます。

それらのワカメを集めて砂浜に広げて日光で乾かす。

ひとしきり遊んだらそれらの乾いたワカメを小さな体で抱えて道路に引きずりながら家に持って帰って母親に渡したのでした。

そうすると、褒めてくれて、母がお小遣いをくれて駄菓子屋に駆け込んだものです。

それがうれしくてしょっちゅうそんなことをしていました。

そんなわけで家でのご飯のお味噌汁の具材はワカメとじゃがいもが定番でした。いい思い出だね。

あれから半世紀も経つんだな。

50年経ったけど、いつも何処からか見られているような気がする。

空を見上げて襟を正す。1年に1度の大事な日が今日だ。

母親の年齢になったら、自由に生きていきたいと以前から考えていていたし、そのようになるように行動してきた。

何にも縛られないで

自由に生きていく。

そう、あの時のワカメのように。

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